続・青春VAN日記16
破産財団の巻 その16(1980年春)
1980年4月23日
VAN破産争議はあの破産宣告の日から数えて1年半の歳月で終了した。
この日356別館に集合した残留社員68名達は喜びに沸きかえった。
読売新聞報道1980年4月24日 |
天下晴れて、栄光の“ヴァンヂャケット”を商社から取り返す事が出来たのだ。・・・あの巨大な商社の、あまりにも巨大な手から!
さあ、今日からは、新VAN建設に向けての、第二ステージが始まるのだ。
再び敬愛する石津会長の下で、大好きなVANの名の下で、力いっぱい仕事できる日が近づいてきた!いったいこの喜びを何に例えよう!夢のような喜びに、356別館・元営業フロアの歓声は、夜遅くまで延々と続くのであった。
さて、争議解決により、VAN破産財団組織は“解散”となる。
なにはさておき、内外の支援者・お客様方に対して広く情報を伝え、感謝の意を表明しなくてはならない。
解決アピールの御礼イベントを行なわなければならない。
さあ明日からは忙しいぞ!・・・その実行役は私であった。
まず、身内社員関係者の争議解決勝利パーティが、翌日の4月24日、
“新宿ジャズスポットJ”において行なわれた。
解決勝利PARTYでのMC風景 |
バードマン幸田店長は突然の私からの依頼にもかかわらず、快く会場を提供して下さった。
新聞各社の取材、フラッシュ光の中で、みんなの顔が輝いていた。
それにしても・・・“ジャズとVANとはお友達”、とまで仰って頂き、VAN再建に数々の御協力頂いたJの幸田さんや安ますみさん、
さらに平凡パンチのVANモデル役までして頂いた
宣伝部長のタモリさん、
・・・皆様本当にありがとうございました・・・
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続いて都内某会館において、争議解決に御尽力頂いた多数の労組関係者・法曹関係者、革新政党関係者、の方々をお招きしての勝利大祝賀会が開催された。
戦後の労働争議史に残る大勝利である。
盛大にやろうではないか・・・と。
しかし、旧来の労働争議の祝賀会とファッショナブルなVANパーティとはどうもイメージが似つかわしくない。どうしようか? 私は考え込んだ。
“よーし、今までの労組界伝統のパターンである、‘茶碗酒にスルメ’の蟹工船的イメージをひっくり返してやろう”
・・なんと司会の私は、会場に後輩の大学JAZZビッグバンドを呼び、ステージではVAN労組書記長をコンマス・リードトランペットにして、オープニング曲をあの“インターナショナル”のスイング版生演奏で開始した。
もちろんV社員やバンドメンバーは全員ドレス・アップ。ミラーボウルやスポットライトもセットした。
そして労組界・政界各位のご挨拶の後は、スイングジャズの名曲“グレン・ミラー、ベニ−・グッドマンのナンバー”が流れる中でのボールルーム・ビュッフェスタイル・パーティ。
・・・これは、労組・政界の皆様方にもおおいに受けた。
総評幹部の年輩の方までもが、喜んでくれた。
「さすがVANさんは違うねえ!初めてだよこんな洒落た打ち上げは!」
(・・この米国資本主義の手先め!と怒る方は皆無だった。よかった!)
管財人の岸先生、本当にありがとうございました!
さらに続いて、我VAN・SHOPのお客様方にも解決報告パーティを催した。これまで再建に御協力を頂いている多数のVANファンの皆様をご招待しての「原宿ラフォーレ・アイビー・パーティ」である。
もちろん、“ザ・ヴィーナス”とのタイアップ企画である。
東京中のアイビークラブの若者達が集合してくれた。
青山ブルーノット・アイビークラブ
原宿アイビークラブ
新宿 怪人20面相アイビークラブ
慶応大 東京アイビークラブ連盟
早稲田大 エリオット・ハウス・アイビークラブ
栃木ブレイズ、宇都宮ノベルティなどの沢山のアイビークラブ。
そして同業の原宿クルーズ万里小路店長(コージさん)。
親愛なる雑誌各社の皆様方、若手モデルの方々・・・達。
そして会場に入り切れないほどの多数グループのお客様達が、
ヴィーナスのサウンドでツイストを踊り、VAN再建を共に願ってくれた。
皆様、本当にありがとうございました!
そして、いよいよ破産財団はこれらをもって解散となった。
新社設立へ向かっての具体的な行動が、開始される事になったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
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